ただただ、同じことを頑なにやり続けるのがプロなのか。
時代も見ず、人も見ず、自分と過去の歴史だけを見続ける。
ただただ尊敬するばかりで誰がそこに共感できるのだろうか。
人が何かを欲しいと思った時、
手に入れた先の未来に幸せが見えるからそのものが欲しいのだ。
結局人は物が欲しいのではない、幸せが欲しいのだ。
過去しか見ることのできない物に、誰が欲しいと言うのだろうか。
それは博物館で見られれば十分で日常に求める人は少ない。
本当に相手のことを思い相手の幸せを願い相手の求めるものに対して答える。
日本の文化や和とは、対象があって自分がどう答えるのか。
そこが重要なのではないのか。
なぜ日本の教育はレールを先に敷いてしまいそれに人乗せようとするのか。
あくまでも主導権は人にあって、その人が進みたいと願う道に合わせて
レールが変化しながら導くべきなのではないのか。
そしてもしその人がレールがいらないと言ったとしても、
とにかくレールを敷くことにこだわり、それを押し付けてくる。
他の物には一切変化しない。
そのレール自身もまた、歴史の積み重なりなのだ。